先週はミナレのせいで犯罪者扱いされた無実の沖青年が、あわやミナレを訴える事態に発展しかけましたが彼の恩情により告訴を免れることができました。
さてさて今週は一体どうなるのか楽しみにしておりましたカンパネルラでございます。
波よ聞いてくれ第8話では、ミナレという名前の由来が明らかになりました。
父親の語る名づけの理由は超適当でしたが、そこからシセル光明とのつながりも示唆され、考察のしがいがあるストーリでした。
それでは波よ聞いてくれ、第8話の解説、考察を行っていきたいと思います。
ミナレの名前の由来
最初父親の語ってくれた適当な名づけ理由からは想像も出来ませんでしたが、このミナレという単語はこの物語に大きく関わっている名前のようですね。
確かに日本語では聞きなれない不思議な語感なので、ミナレが名前の理由を親に聞きたがるのも無理はないです。
私もそんな名前付けられたら、両親に理由を問いただしてしまうかもしれません。
さらに父が愛人の名前からとったと言ったら、ミナレよろしく絶縁宣言しちゃうかもしれませんが。
さて今回の放送で鼓田ミナレのミナレについては、父親の話が嘘でなければ、特に意味のある名前では無かった事が判明しました。
なので、シセル光明が話していたアイヌ語で笑わせるという意味のミナレとは無関係なのでしょうか?
出典:波よ聞いてくれ/5月23日放送/TBS
しかしそう考えるには気になる点があったので、その点を中心に考察を行いたいと思います。
人に笑われるという事
最も気になったのは、シセル光明とミナレの父親が、同じようなことを言っていたことですね。
シセル光明が話していたセリフを聞いて、第6話で父親がミナレに向かって言った一言を思い出した方も居たのではないでしょうか?
周りから笑われる人間になれ、それが一番大切。
二人の考えに共通していることが、人を笑わせる、ではなく、笑われることが大事だという点だと思います。
以前私も見たことがあるのですが、シセル光明が会話に出す「モンティ・パイソン」は、少し物事を斜に構えたような、ブラックなジョークが持ち味のコメディ集団でした。
政治の内容を皮肉ったコントなどをしており、光明はこの笑いは自分の目指すところではないと、回想の中で話していましたね。
確かに皮肉るという事は、何か自分とは別の対象を、おもしろ可笑しく批判するという事です。
光明の言う、誰かを笑いものにするのではなく、自分が恥かいて起こる笑いが一番尊いといった信念とは相反するものがありますね。
これがなぜか第6話で飲んだくれのミナレの父親が言うとダメな自分を肯定するために言っているようにしか聞こえないけど、光明が言うとそれらしく聞こえる不思議。
確かに、人をいじって起きる笑いは一歩間違えればいじめにもなる危険なものです。
そう考えれば、自分が笑いの対象となることで人を笑わせられるならそれが一番良いように思えます。
シセル光明とミナレの父親に関わりはあるのか
さて、二人の笑われの美学ですが、あまり一般的な考え方ではないですよね。
普通なら人を笑顔に出来る人になれと言うところですが、そうではなく、自分が恥をかいて人を笑わせるようになれ。
全く関わりのない人間が、偶然同じ考えに至ったと考えることもできます。
ですが光明と父親はこの少し変わった信念だけでなく、ミナレ(笑わせる)というかなり個性的な名前を子供につけるという考えに、同じように辿り着いているわけですね。
もし二人に何の関わりも無かった場合、このような偶然起こる可能性はかなり低いのではないかと思います。
ミナレの父親は、光明と何かしら関係があったのでしょうか?
本当に関わりがあった場合は、父親は光明との関わりを意図的に隠していることになります。
父親に裏があるとは言いませんが、意味深に古いラジオを送り付けてきたりするので、やはり過去にラジオ業界と関わりがあって、そのつながりで光明と話す機会があったのではないかと思いますが、詳細はまだまだ分からないことばかりです。
情報が少ない中での予想ではあるのですが、仮に二人の関わりがあった場合と、無かった場合、二つの展開を考えてみました!
シセル光明とミナレの父親に関わりがあった場合
やはりこの二人が関わりがあるとするとラジオ業界で何らかの出会いがあったと考えるのが妥当かと思います。
少しではありますが父親とラジオ業界の関わりが暗示されていましたし。
そう考えると、なぜミナレの父親は、光明のことを話したがらなかったのでしょうか?
光明の件で何か隠したい事と考えたときに、真っ先に浮かぶのは、シセル光明は凄惨な事故に遭っているという点です。
誰であってもそうだと思いますが、万が一自分のせいで、友人や知り合いが凄惨な事故に巻き込まれてしまったらどうでしょう。
その事実と向き合えないうちは、その人の存在を必要以上に語りたくないと考えるのでは無いでしょうか?
ミナレの父親は自分のせいでシセル光明を事故に遭わせてしまい、本当はミナレの名前の由来も光明と関わりがあるのだが、必要以上に語るのを恐れたため、本当の理由を話さなかったのではないでしょうか?
シセル光明とミナレの父親に関わりが無かった場合
二人が特に関わりが無かったという場合、例えばですが、この笑われの美学自体が何かからの引用という可能性など考えられえるのではないでしょうか?
例えば、映画のセリフだったり、それこそ当時流行っていたラジオ番組などで取り上げられたのを、二人が別々に聞いて覚えてたのではないでしょうか。
光明は、父親がラジオの関係者だったようですし、本人もラジオに興味を持っている様子でしたからラジオを普段から聞いていておかしくないでしょう。
ミナレの父も古いラジオを大事に持っていたので、多かれ少なかれ興味があったのは間違えないでしょうから、ラジオ番組を聞いていて不思議はないはずです。
そこで偶然聞いた放送の内容が特徴的な考えだったので、なんとなくお互い覚えていた。
そうするとミナレの名前の理由は本当に偶然愛人の名前からとったという事になります。
さて、ある場合と、無い場合の2パターンを考えてみましたが、こうしてまとめてみると個人的にはやはり2人は何かしらの関係があるのではないかと思いました。
偶然にしてはあまりに出来過ぎていますし、特に気になったのは今回のサブタイトルです。
今回のサブタイトルは「電話じゃ話せない」です。
実は名前の由来は別にあるのだが電話じゃ話せないような重い内容だという、ミナレの父親目線のタイトルだとするとそれこそ考察した通り光明と父親には何かの繋がりがあるのではないかと思いました。
初登場 城華マキエ兄
さて今回、波よ聞いてくれ第8話でマキエのお兄さんが初登場しました。
極度に神経質ながら、危害を加えた中原にジャンピング土下座するあたり悪い人では無さそうです。
出典:波よ聞いてくれ/5月23日放送/TBS
ただ妹が大切過ぎて我を失うことがある、これまた極端な性格。
今回話の中心はミナレの名前の由来でしたが、あまりに個性的な性格だったので、ここで少しマキエの兄の性格について考察をしたいと思います、
真面目すぎて度を越している男
一見するとマキエの兄は、妹を厳しい保護下に置く異常な存在のように思われます。
正直これまでは救いようのないヤバい奴なのだろうか?と思っておりました。
ですが今回の放送を見ると、ちゃんと妹の結婚相手を考えたり、中原に非礼を詫びる所など、むしろ常識的な部分も描かれていました。
妹に関しても特別な感情があるわけでもなく、受け身な姿勢のマキエを心配しての極端な過保護だったのでしょう。
最初は度を越えて妹を愛しすぎていて、他の男に取られるくらいなら一生自分の手元に置こうなどと思っているのかと思ったのですが、どうも違うようですね。
本人からすると、両親を亡くし、自分が兄という役割を、真面目にしっかりと果さなくてはいけないという責任感から極力妹にリスクを掛けない様に超過保護な環境に置いていたのではないかと思います。
なんだか思ったよりは人間の心があるようでちょっと安心してしまいました。
ですがこのくそ真面目お兄さん、破天荒なミナレとは全く性格が合わないだろうな、とぼんやり思いながら放送を見ていました。
今回はミナレと直接話すことはありませんでしたが、この二人絶対に合わないだろうな、今回鉢合わせなくて良かった!と妙に納得してしまいました。笑
波よ聞いてくれ8話の感想
波よ聞いてくれ第8話はミナレの父親とシセル光明の関係が、うっすらと示唆された回でしたね。
個人的にミナレの名前には大きな意味はないのかと思っていたので驚きでした。
今後はここから物語がどう動くのか非常に気になります。
さて、気になると言えば次回は、ミナレから50万円も騙し取って逃げたミツオが登場するようですね。
出典:波よ聞いてくれ/5月23日放送/TBS
一体全体何を考えて再会を望んでいるのか?
ミナレさん大荒れの予感!
一体どうなるのか、次回は特に楽しみです。
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