みなさまこんにちは。
アニメ BANANA FISH担当のnk(エヌケー)です。
先週はお休みをいただいておりましたので、今回は2回分の考察をさせていただきます。
が、その前に、どうしても申し上げたいことがございます。
アッシュ!!誕生日おめでとう!!!!
8月12日は我らがアッシュ・リンクスの誕生日でしたね。
当日記事を上げてお祝いしたかったのですがかないませんでしたので、とりあえずケーキを買ってBANANA FISH上映会(6話のみ)をさせていただきました。
物語という限られた世界に生きるアッシュですが、生まれてきてくれたことに感謝しております。
さて、BANANA FISH 5話でははショーターやチャイナタウンの力を借りていよいよアッシュがディノと正面から対決しましたね。
ゲリラ作戦は失敗に終わり、ニューヨークからアッシュの生まれ故郷・ケープコッドを訪れるところから6話のスタート。
いよいよ新章突入です!
ケープコッドとはどんな場所?
ケープコッドはマサチューセッツ州の東端に位置する半島です。
ディズニーシーのアメリカンウォーターフロントには同名のエリアが存在し、ケープコッドやマサチューセッツの雰囲気を再現しているようですね。
ケープコッドはアメリカの中でもはじめに西洋人がたどりついた場所ともされています。
とくに有名なのが1620年にイギリスからメイフラワー号に乗ってやってきたピルグリム・ファーザーズで、ケープコッドの先端・プロビンスタウンに降り立ったとされています。
ちなみにこの地に昔から住んでいたインディアンの部族をワンパノアグ族と言います。
ワンパノアグとは彼らの言葉で「東の民」あるいは「夜明けの民」を意味するそうです。
なんとなく、アッシュの本名・アスラン(古代ヘブライ語の祈りの言葉で「暁(=夜明け)」の意)を想起させますね。
出典:BANANA FISH/8月10日放送/フジテレビ
6話で登場したアッシュの生家は切妻屋根に壁はベベルサイディング、玄関を中心として左右対称に窓が配置された、コッドスタイルと呼ばれるこの地域ではレトロな家でした。
また、ケープは岬、コッドはタラという意味で、タラ漁をはじめとした漁業を営んできた地域でもあります。
現在では高級リゾート地が点在する場所でもあるようですので、アッシュの父のお店には地元の海の男たちや、観光で訪れたセレブが集まるのかもしれませんね。
(原作を見る限りでは、地元の人たちが気軽に集まる場所という感じを受けましたので、海の男たちのほうが多いかもしれません)
伊部がなりたかったもの
じつは原作を読んだ時から、そしてアニメを見たこの段階でも、伊部のアマデウス症候群については消化不良なところがあります。
今回は少し深く考えていきますが、至らない点に関しては皆様のお力を借りたいな、と思っている次第であります。
アマデウス症候群とは?
アマデウス症候群とは、自分より超越した才能、魅力を持つものを妬み、恨みながらもそのものを愛してしまう状態を指すそうです。
アメリカで1984年、日本では1985年に公開されたアカデミー賞受賞作品に「アマデウス」があります。
アマデウス症候群が調査の限りでは一般的に広く使われている用語ではなさそうなところから、映画の影響を受けてつくられた造語なのかもしれないと考えています。
さて、映画「アマデウス」の主人公はアントニオ・サリエリ。
かの有名なヴォルフガング・アマデウス・モーツァルトと同じ時代に生きた音楽家です。
サリエリは音楽への愛と、
コツコツと努力し、成功を勝ち得る彼の前に現れたのが、天才・モーツァルト。
モーツァルトはサリエリが不断の努力で得てきたものを、何の苦労もせずに超えていってしまう。
サリエリは妬み、表面的にはモーツァルトと友人のように接するが、裏ではあの手この手で彼を貶めようとします。
しかし、そうしながらもサリエリはモーツァルトの才能が神に与えられた唯一のモノであることを察し、認めていたのです。
まさに、「愛しくて愛しくて憎い俺のアマデウス」という状態をいうようです。
伊部がなりたかった「英二」
アマデウスのあらすじを踏まえて、伊部が何になりたかったのか、少し考えていきたいと思います。
映画では、モーツァルトとサリエリは「音楽」という同じ土俵に立っていたからこそ、激しい嫉妬と愛にかられたのだと思います。
伊部と英二とでは、職業や年齢も違いますから、英二の持つ「何に対して」アンビバレンスな感情を抱いているのか、私自身まだ納得のいく答えを得られていません。
ただし、そのヒントは「鳥」であると感じています。
鳥は英二の象徴として度々登場します。(1話で着ていたTシャツなど)
マックスとの会話でも、2人の側に枝にとまった鳥が描かれていたり、「俺がカメラマンとして最初に認められた写真のモデルなんだ」と話す伊部の視線の先には、鳥のような形の雲が描かれています。
出典:BANANA FISH/8月10日放送/フジテレビ
英二の鳥のような自由さ、あるいは伸び伸びとした様子に伊部はつよく憧れたと考えるのが自然でしょうか。
ところで、この写真は伊部が美大3年生、英二が高校2年生のときに撮影されたものとのこと(「Fly boy, in the sky」。私は未読です)
留年や、社会人入学等でなければ、伊部が21歳のときに撮ったものということになります。
この大人(成人)と子どもという線引きをされてしまう年齢もヒントなのかなとも推測しています。
そして「最初に」と言ったということは、これまで何千、何万もの写真を撮ってきて、それに対して努力もしてきたけれど、認められなかったのだと思われます。
その中には認められたいがために、撮りたくないというと語弊がありますが、自分の要望よりも技術面を優先した写真もあったのかもしれません。
そういう大人の目線に立ってきてしまった自分と、子どものように自由に飛ぶ英二を比較してアンビバレンスな感情が生まれてしまったのかもしれません。
伊部は英二を取り戻したいのか
映画「アマデウス」では、サリエリはモーツァルトの才能を愛しながらも、彼の破滅のために暗躍します。
アマデウス症候群だと言われた伊部は棒高跳びの選手としての英二を取り戻したいと考えているのでしょうか。
英二を取り戻したい
6話で「奨学金を受けていた関係でいろいろあって、あの子はすっかり委縮しちまって」と伊部は話しています。
「いろいろ」の内容がスポーツ面に疎い私としては、想像がしづらいところなのですが、その「いろいろ」が英二を大人に押し込めてしまうものだったのかもしれません。
(前回も「英二にプレッシャーを与える行為」と予測しましたが、今回も具体的には描かれていませんでした。)
そしてその先にあるものを伊部は痛いほど知っている可能性がありますから、英二を無理に大人にさせたくなかったのかもしれません。
そして、かつてのように自由に飛ぶ英二をもう一度取り戻したくて、「いろいろ」から引き離したのだと解釈することもできます。
また「自由に飛ぶ英二」に対してアンビバレンスを抱いていたのだとして、対象を失えばその感情は行き先がなくなってしまいます。
だから自分が憧れる英二を失いたくない、という心理が無意識に働いてしまうのは不自然ではないように思えます。
英二を取り戻したくない
アマデウス症候群にはもう一つの側面があります。
それは「アマデウスとは自分の価値観を破壊する存在である」ということです。
サリエリは神への愛とたゆまぬ努力があれば成果を得られるという世界で生きてきた人です。
しかしそこに現れたのが、どちらも持たぬのに自分を超越するモーツァルト。
モーツァルトが自分と同じタイプの人間だったら、サリエリは才能を愛するだけでいられたでしょう。
自分の大切にしてきた世界の仕組みを簡単に壊していく男だったからこそ、憎しみが生まれたと考えられます。
では伊部はどうなのでしょうか。
スランプに陥っていた英二が、自分ならすでに大人の側に行ってしまったであそう体験をしながらも、子どもの心を失わずにいたとすれば、そこに対して妬みが生まれてもおかしくないように思えます。
心の奥にマイナスの感情があったから、英二を別の場所で競技をさせるのではなく、競技から離す選択をしたのかもしれません。
(こういう見方は少し意地悪というか、性格が悪いように自分でも思います。)
いずれにしても、アッシュの父に素直に怒れる英二は、伊部が憧れる子どものような純真さを失わずにいるのではないでしょうか。
アッシュの父は生きているのか
このトピックスは、むしろ「アッシュパパには生きていてほしい!」という希望的観測からお話するものです。
6話ラストでディノの手下に撃たれたアッシュ父・ジェームス。
実際に私の希望が叶う可能性はどれくらいあるのか調べてみました。
銃はどれくらいの威力があるのか
今回ディノの手下が使った銃が何であるのか、正確なところはわかりませんが、これまで使用されたものから、いわゆる9ミリパラベラム弾を使用する銃であることが推測されます。
9ミリ弾はおよそ時速1450kmで飛んでくるといわれていますが、これだけではどれほどのものか少し分かりにくいですね。
9ミリパラベラム弾はアッシュが持っているマグナムと同じくらいの威力を持つようです。
マグナム弾がどれほどの威力を持つのか、非常に参考になるのが名作「シティーハンター」1話です。
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とある飲食店で人質をとった犯人は、冴羽の銃(コルトパイソン.357マグナム)を見るなり窓際に移動し、おもむろにカーテンを開けて次のように言い放ちます。
「撃ってみろよ、そのバケモノ銃を。その距離(2~3mほど)で俺を撃てば、弾は俺の身体を突き抜けて外のやつらに当たるぜ。」
アニメ「シティーハンター」1話
このセリフから近い距離であれば、人体とその後ろにあるガラスを突き抜け、さらには通行人にけがをさせるだけの威力があることがわかります。
今回ジェームスはより近い距離で撃たれましたので、弾は簡単に身体を貫通したのだと思われます。
銃で撃たれて生還できる確率
結論から申し上げますと、銃で撃たれて生還できるかどうかは運に左右されます。
かなりの威力を持ったものが身体に当たるわけですから、実際に撃たれた部位以外が損傷する可能性も十分にあるのです。
また、銃弾は体内に残るとその驚異的な運動エネルギーが体内を傷つけてしまう可能性が高くなること、銃弾の素材が人体に有害な金属であり化膿等の原因となることなどを踏まえると、貫通してしまったほうがいいという説もあります。
(銃の種類等によって威力等違うため、一概には言えないようですが。)
しかし、心臓や脳に直接ダメージがなければ80~95%の確率で生存できるというデータもあります。
今回ジェームスは肩を撃たれており、幸いにも友人がすぐに駆け付けてくれましたから、物理的要素から言えば、生きている可能性は高いと言えるでしょう。
ジェシカはなぜマックスを警戒したのか
アメリカでは年間80万人近い子どもが行方不明になっています。
そのうち20万人が離婚した親同士やそのほかの血縁者による子どもの奪い合いが原因のようです。
行方不明になった子どもが父親に連れ去られて、10年以上経ってからメキシコで発見された事例などもあります。
アメリカの親権事情
まず大前提として、アメリカでは離婚して子どもと一緒に暮らさなくなったからと言って親ではなくなるという考えはありません。
離婚はあくまで親同士の問題で、子どもとの縁が切れたわけではありませんから、当然養育に関しての権利を有するものだと考えられています。
アメリカにおいては、離婚後もそれぞれの両親が平等に子どもの養育等を行う「共同親権」も選択肢の一つとして認められています。
これに対して日本のようにどちらかの親と大半の時間を過ごし、その親が養育に関する決定を行うものを「単独親権」といいます。
単独親権となった場合、親権を失った親もよほど問題がない限りは週末や長期休暇の数週間を子どもと一緒に暮らす権利が与えられます。(面接交渉権)
マックスとジェシカは生活の拠点が離れていたために単独親権を選択したのだと思われますが、どちらが親権を有するかに関しては、特に子どもが幼いうちはそれぞれが養育にどれだけ負担をしたかがカギとなるようです。
2人の暮らしぶりは明確には示されていませんが、ジェシカが高給取りであること、マックスが刑務所に入っていたためにジェシカが長いこと養育に携わっていたことを考慮するとジェシカに軍配があがる可能性が高かったのでしょう。
そして、マックスは息子をとてもかわいがっている様子でもありましたから、誘拐してもおかしくないと思われ、警戒されたのかもしれません。
出典:BANANA FISH/8月17日放送/フジテレビ
ちなみにアメリカでは子どもが行方不明になると、テレビやラジオなど公衆メディアを通じて住民に呼びかけられ、その情報はスマホなどにも警報として発信されます。(アンバーアラートと言うようです)
こうした災害と同じようなレベルで呼びかけられるようになったのは2002年頃(約16年前)のようですので、アッシュもお世話になっているかもしれません。
チャイニーズたちの事情
ユーシスという名前は何なのか
出典:BANANA FISH/8月17日放送/フジテレビ
今回初登場した「
登場時には「ユーシス」と名乗っていましたが、どちらが本名なのでしょうか。
香港や台湾の住民の中には、本名の他に英語名を持っている人もいるようです。
中国人が英語の名前を持っている歴史的経緯ははっきりとしたところがわかりませんでしたが、かつて香港が英国植民地だった時代にイギリスの教師が呼びやすいようにつけたのがはじまりともいわれています。
中国語の発音は複雑で呼びづらかったために英語名をつけるようになったのだとか。
現在では自分で英語名をつけることが多いようで、ニックネームのような感覚ではあると思うのですが、驚くべきところは、香港では政府発行の身分証明書に英語名が記載できる点です。
話を戻しますと、こうした文化から推測するに、やはり本名は月龍で、ユーシスはアメリカで暮らすうえで必要だった、あるいは今回の任務で必要だったためにつけられたものと考えられます。
ショーターはなぜ月龍についたのか
ショーターは明るく、情に厚い男として描かれています。
そんな彼がなぜ友人であるアッシュではなく、出会ったばかりの月龍を選んだのでしょうか。
一般的に中国人は関係というものをとても大切にするようです。
もちろん一番強いのが家族などの血縁、そして友人関係です。
その他、ショーターたちのように中国から離れて暮らしている人たちにとっては地縁(いわゆる同郷の縁)も重要視されます。
地縁という意味で李家を裏切れなかった部分もあるかと思いますが、今回最も大切なのは家族の絆でしょう。
中国は儒教の国ですので、「仁」を大切にします。
仁とは簡単に言うと愛情のことで、血縁関係を仁の最も大切な要素ととらえています。
血縁関係を重視するのは中国の倫理道徳観の基本で、その絆は今でも非常に強固なものだと言われています。
月龍の向こうには自分の唯一の血縁者であり、親代わりのマーディアがいました。
マーディアとショーターは見ている限りとてもお互いを大切にしています。
彼らが中国系であることを考えると、私たちが想像する以上に二人の絆は固いものなのだと思われます。
出典:BANANA FISH/8月17日放送/フジテレビ
ショーターは、家族を大切にするだけでなく、目上の者を敬い、関係を持つ人の面子を大事にするなど、一般的な中国人らしい様子も見受けられる人物だと思います。
故に思わず涙を流すほど苦痛を感じていても、アッシュではなく月龍の側についたのだと思われます。
BANANA FISH(アニメ)6話と7話の感想
6話、7話ではアッシュと英二の関係の変化がとても顕著に表れていましたね。
1話では英二がお願いして触らせてもらった銃を、6話ではアッシュ自ら「撃ってみるか」と聞いています。
また、中国人は友人関係において時間の長さを重視する傾向がありますので、警戒心の強いアッシュがたった数か月前に出会った日本人にパーソナルスペースを許しているのは月龍にとって驚きの光景だったのでしょう。
出典:BANANA FISH/8月17日放送/フジテレビ
こんなにも仲良くなった2人を見て、私もおどろきました。
原作で知っていたとはいえ、少年たちの成長を見守る近所のおばさんの感覚で感動してしまいました。
また、アッシュの表情の変化も見どころでした。
とくに7話でジェシカを「おばさん」呼ばわりする直前の表情は悪だくみをする普通の17歳のようにも見えます。
ディノの核心に迫ってきて状況はより危険になってきてはいますが、アッシュにとってこの旅は心休まるものなのかもしれませんね。
また原作ファンの間で注目されていた「アッシュがドースン博士のパソコンをハッキングするシーン」。
どのような改変が見られるのか期待と不安が入り混じった気持ちで見させていただきました。
結局は謎のUSBをつかってパスワード(しかも厳重そう)を解除していましたね。
このシーンにつきましても考察・解説したかったのですが、コンピューターに疎く、「シールド・クラック」?なにそれ??状態でしたので、今回はあきらめました。
ご存知の方の情報を待ちたいと思います。
最後に、そのディノ役をされていた石塚運昇さんがおなくなりになりました。
存在感のあるお声がBANANA FISHにとっても大切でしたし、ポケモンのオーキド博士も大好きでしたので、悲しいという言葉以外が今は出てきません。
命の限りディノを演じてくださったことに対してファンの一人として深く感謝いたしますのと同時に、安らかにお休みくださるようお祈り申し上げます。
本当に、素敵な時間をありがとうございました。
コメント
質問があります。アニメではユーシスの情報をスマホで
読み上げる際に「British Hong Kong」と英国領香港と
記載されてて、アニメの海外の反応ブログで「なぜスマホが
ある現代で香港がイギリス領になっているんだ?」と突っ込まれました
原作ではユーシスは香港人として紹介されているのでしょうか?
それとも原作に無いスマホのシーンでユーシスの国籍はアメリカ人から
香港人として改変されたのでしょうかね?
アインズさん
はじめまして。コメントありがとうございます。
また、一緒にBANANA FISHをたのしんでいる同志に出会えてうれしい限りでございます。
さて、ご質問がありました「ユーシス」の国籍に関してお答えいたします。
ユーシスをはじめとする李家の人々は原作から香港にルーツのある華僑として描かれています。
「華僑」とは国籍を中国に残したまま外国に住み、その地に根差している中国国民を指す言葉です。
ただ、成り上がり者の暗喩として使われることもあるため、現在では華僑という言葉はあまり使われないようです。そのためアニメでも割愛されてしまったのでしょう。
ユーシスが香港籍なのは納得できるところではありますが、「British」についてはなぜなのか私も調査をすすめているところです。(ユーシスが生まれたころにはすでに香港は中国に返還されていますし…)
ご質問には十分にお答えできていますでしょうか。何かございましたら、またお気軽にコメントをくださるとうれしいです。